91時91分
思い込みというのは結構厄介なモノですよね
ひとつの考えが定着するとなかなかそこから離れることはできません
例えば「常識」も思い込みのひとつだと思います
僕も無意識のうちに「常識」のひとことで片付けてしまっているものごとがあると思います
ところでスガシカオのうたに「91時91分」という曲があります
ひっくり返ったデジタル時計の表示が91時91分だった、という
なんか説明すると一行で済ませてしまえそうな曲ですが
この曲もたぶんそういう思い込み、常識について言いたいのではないかと思います
頭にきて ケータイ電話 壁に投げつける
逆さになった 待ち受け画面 現在・現在・表示の時刻は
91:91 91:91
91:91 91:91
止めても鳴る目覚まし時計 ケリをくらわせる
真逆になった デジタル時計 現在・現在・世界の時刻は
91:91 91:91
91:91 91:91
こんなことって 許していいの? 誰が決めてるの?
隠してやがる 裏側全部 みんな疑わしい
本当のこと 誰もいわない 現在・現在・本当の時刻は
91:91 91:91
91:91 91:91
ちょっと村上春樹の短編とかにありそうな話ですよね
世界にとって、その時計の表示は16時16分が正しいのであって
91時91分などということは論外なわけです
ここでこの曲では時計が逆さになったことをきっかけにそこに疑いを持ってみています
「こんなことって 許していいの? 誰が決めてるの?」
「隠してやがる 裏側全部 みんな疑わしい」
「本当のこと 誰もいわない 現在・現在・本当の時刻は」
「91:91 」
これは当たり前のこと、常識を疑ってみることの一例を端的に表しているんだと思います
実際に日常の常識をこんな風に疑ってみることも面白いと思います
常識を常識で済ませてしまうと
そこで思考は止まってしまいます
それがほんとうに常識なのか
何故それが常識とされているのか
それが常識とされることによるメリットは何か
それが常識でなかったらどうなるのか
などと考えるのもなかなか楽しいと思います
僕的には結構楽しいですよ
まあこの曲聴くときにそんなこと考えて聴かなくていいとは思いますけどね
こういうこと書くのも野暮なことなんじゃないかって気もしますし
思い込みというのは自分の見識が広まることを妨げるので
一度色んな事に懐疑的になってみるのも面白いと思いますよ